解毒旅の途中で海外移住

毒親持ちの左脳内向型アダルトチルドレンのひとりごと

自分について考え始めたきっかけ

私はずっと生きづらさを感じていて
自分は幸せになることなんて絶対ないという
人生に意味も希望もないまま惰性で生きてきたと思う。

 

いつもそんなことを考えてきたわけじゃなく
それは自分の中にずっと沈殿していて、沼のヘドロのような。

先生曰くそれは「人生の消耗」、まさにそれ。

 

30代半ばになると、特に日本社会では
(後になって私の感じる日本社会はつまり母親から植え付けられたこうあるべきという価値観だと知るけど)女性たるもの結婚して子供を産むべきであるという
価値観に窒息しそうな毎日が続いていた。

 

営業畑から始まって途中でコンサルタントに転向、
その後、管理職だのになっていて
自分で積み上げたキャリア=自分の価値だと思っていたし
結婚も出産もできていない私は
ただ自分のできることをしてキャリアを積み上げて
年収を引き上げて、好きなものを買って、親しい友達と遊んで
そうすることで私はそこそこ幸せだ、と思うようにしてた。
 

ただ、3年位前にハードワークからのキャパオーバーを経て
燃え尽き症候群、最後は逃げるように退職。
そこから少し自分を大事するという概念を知った気がした。

 

会社を辞める時、誰もいない休日のオフィスに荷物を片付けに行った。
静かなオフィスで自然と涙があふれた。
大きな声で泣き崩れた。

 

今でも覚えてるくらいの嗚咽。号泣。

その感情は、その時は何て言っていいかわからなかった。
ただ、いろんなものが入り混じっていたからだと思ってた。

 

でも今は、これこそが自分の感情がよくわからないという
表れだったのだとわかる。

 

そこからいつもの転職パターンで3か月の語学留学。
そして帰国後すぐに転職。

私にとってこの転職もとてもよかった。

 

  • はじめての縦割り分業制の大きめサイズの企業
  • 希薄な人間関係を作るにはちょうど良いフリーアドレス
  • 誰もマネジメントしない気楽な下っ端社員

 

 

やることが、人間関係が、責任が、すべてが薄い。
つまり「超ヒマ」!
今までの働き方とは本当に真逆。

ビジネスパーソンとして会社やクライアントに喜んでもらうために
自己犠牲しまくって貢献することが命!リーダーシップ命!

 

みたいな働き方をしなくなって、
途端に自分のアイデンティティがなくなった。

つまりそれは自分を必要としてくれる場所を失ったということで
どうしていいのかわからなくなってしまった。

 

そうなると今度は、女性としての幸せ=結婚に向け
意識が高くなるわけで。

 

そこでも違和感を感じるようになって

 

オン・オフ両方から自分について考えなければいけない
シチュエーションになった。

 

そんな時、忘れもしない大崎のTSUTAYAで何となく手にした
岡田さんの「愛着障害」。

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

この本を手にした時が旅の始まりだったんだと思う。

 

そこからたくさんの本を泣きながら読むこと半年、
カウンセリングを受けて毒親へ対決の手紙を書くまで半年、
新しい環境に身を置くことに決めて。

 

すべては偶然。でも必然だとおもう。
もっと若い時に知りたかった、とは思うけど
これが私に与えられタイミング。