解毒旅の途中で海外移住

毒親持ちの左脳内向型アダルトチルドレンのひとりごと

読了:重すぎる母、無関心な父(信田さよ子)

久しぶりに毒親・AC関係の本を読めた。

移住の際にさすがに買い込んだ本をもってくるのは躊躇って
友達に預けていた本たちがこの度入荷。わーい!

移住前に、後々読もうと思っていたこちら。


重すぎる母、無関心な父 (静山社文庫)

重すぎる母、無関心な父 (静山社文庫)

 

タイトルがズバリ我が家そのものだったから、
そのケースに対する実践的指南書かな?
と思って買ったけど、実際の内容はどちらかというと
もう少し広く「親との関係をどうしていくのがいいか」について
特にACと共依存についてフォーカスされている。

具体的な脱却の話が少し薄いけど、説得力のある内容で
とても読みごたえあり。満足感高め。

  • 私はアダルトチルドレンである、という自己認知で楽になる人がACと思えばいい
  • 家族というものはそんなにいいものではないし、
    安全でもないし、もともと人為的なものと思うくらいでちょうどいい
  • 自分の家族に違和感を感じていたのは、そういう「違和」をつくりだすことで
    生き延びてきた。「違和感」を保つことで自分を守ってきた
  • 私のACタイプは⓵責任を追う子供&②なだめる子供(調整役・ケアラー)
  • 過剰適応力は生きづらさを生む一方、強みでもある

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ある事例でカウンセリング対象者が

「自分に質問をして自分で答えを出すという作業をずっとやってきました。
家族の中に何も応答がないからそうせざるを得なかった」

と言ったことに著者が驚いたのだけど
私もまさにこれだし、これが普通だったし
みんなそうじゃないの?とびっくりした。

相談しても、何も答えてくれない無関心な父と
私の考えなんて興味もなく自分の考えを押し付けてくる母。

だから、学校の悩みも、体の悩みも、進路相談も
ずーっと自分で答えを出してた。
唯一の理解者は犬で、散歩の時に相談してたことはあったかな?笑

でも、そのおかげで自分の考えを言語化することに長けているとのこと。
確かにそうなのかも。

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もう一つACの人たちに多い年齢不詳の外見というのに
私を含め私の周りのAC疑惑のある友人たちが思い浮かんで笑った。笑。

ACの人たちは自分の感性の基本が崩れたら自分が崩れてし合うので
思春期くらいにしか持たないような、子供っぽい若々しい感性を
ずっと頑張って持ち続けている。
なので現実に違和感があるので現実を生きていない。
だからACには年齢不詳の外見をした人が多く見られる

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ほかにもいろいろあるけど、
最後に綴られている

「積極的選択としての”家族解散”」

これはとても良い考えで取り入れていきたいと思う。
ふむふむ。
私は家族から自分の意志で離脱中。いい感じ。


あとがき、今の自分にぴったりの内容だった。
しびれた。


ACと自己認知することはスタートラインに立つそのきっかけ。
そのあとも日常生活は続く。
親との拘束から自由になった後の空虚感、
そして親との関係で苦しんだ歳月の分だけの喪失感、
そして”孤独”と直面することになる。

しかしその孤独はACの人たちがかつて感じていた孤立無縁感とは
全く異なる。

「私の孤独」は「私」のもの。
孤独であることで、はじめて私たちは他社と結びつくことができる

 

うん。


親の支配する国から脱出して、はや数か月。

日本にいた時も孤独感があったけど、
今は確実にそれとは違う孤独感を感じていたところだった。

それはやっぱり「自分で選択した孤独」であることが大きいし
自分が欲した自由の裏返しなんだなと思う。

カウンセリングの先生も、海外移住を決めた時に
「孤独になりますよ?」と言っていたことを思い出した。

その時はこう答えた気がする。

「昔から孤独だったので大丈夫です。
それより日本を離れることが今の私にとっては大事」

そして、移住後の今。
その時の考えは間違ってなかったかなと思っている。

物理的に距離をとったことが重要なのではなくて
親の考えとは大きく異なる私の長年したかった海外移住を
自分の意志で、冷静に判断して行動に移せたことがとても大きい。

これまでの私があって、今の私がある。
私の人生は私のモノ。

友達家族を通して笑顔あふれる家庭を持つことに少し興味がわいた

 ゴールデンウィークで大学の友達が家族(奥さん&6歳の娘ちゃん)
が遊びに来てくれた。


3日間、うちの泊まったり市内観光などずーっと一緒に過ごして
なんだか本当にいろいろ発見があった。


思い返しても、結構びっくりしている。

「テレビでよく見ていた温かい家庭」って本当に実在するんだな、

もうこの一言に尽きる。本当にびっくりした。

じゃんけんしたいとおねだりすれば、してくれる。
自然と差し出され、手をつないでくれる。
食べたいものを聞いてそれを頼んであげる。
疲れてぐずってる様子にも優しくなだめてあげる。
膝の上でぐっすり寝落ちしているところを優しく撫でている。


日常生活から離れた海外旅行だから、楽しい一面ばかりがフォーカスされて
普段の子育ての大変さはあるのだろうけど
それでも、娘ちゃんのいいところを私に話してくれる姿に
両親の娘ちゃんに対する愛情や関心、温かさを感じられた。

その温かさは私の家庭には感じられたことがないもので
とても眩しかった。

これまで、私の友達も結婚して家庭をもって子供を持って
ということはあったけど
私は心のどこかでそれに対して
「本当にちゃんと考えて子供産んだの?ちゃんと子育てできるの?」
と懐疑的に見ていていたところがあった。

今でもその気持ちを持ってしまう友達は結構いて、
例えば、昔から子供が好きじゃくて、むしろ子供うるせーって毛嫌いしてて
友達の子供にすら触ろうともしなかったのに
最近になって結婚して、旦那が年上初婚で子供をとても欲しがっている、
年齢的にも高齢になってきたからと急いで子供を作ったといた友人がいて
実際、私は彼女の妊娠を素直に喜べていない。

「子供はモノじゃない。旦那とうまくいかなくなっても本当に子供を愛せるの?」
「私には怖くてできない。結婚し、子供を作ることは自分だけの問題じゃないから」

そう言ってしまいたい想いに駆られることもしばしば。

そういう想いは年を重ねるたびに強くなっていて、
家庭に対して嫌悪感のほうが強くなっていた。


でも、今回目の当たりにした友達家族は
二人の夫婦の空気感、子供との関係がとても爽やかで
心地の良い雰囲気が絶えずあった。

他人と他人が恋愛して、結婚を決めて
子供と一緒に長年生活をすることで出来上がる「家庭」。


体験していない私はイメージできないし、縁のないものだと思い始めてた。


自分の経験上から生まれてきた「結婚」「家庭」「子供」の
イメージは、暗くて、苦しくて、緊張感があって、殺伐としたものだったけど
それは私の両親が作り出したものであって
その辛さを嫌というほど知っている私は、世代間連鎖を繰り返さず
違うものを作り上げることができるのかもしれない。


笑顔あふれる家庭。

そういった家庭を持ってみたいなっていう興味がわいた。

そういう、希望みたいなものが見えた気がした。


 

 

母親への拒絶反応

私の母親の毒親タイプは結構混合型だと思う。

  • 支配・威圧タイプ
  • 精神虐待タイプ
  • 過干渉タイプ

何をされたのかは少しずつ、じっくり書くとして
私がこれまで母親にどう接していたのか振り返る。

 

そんな毒母親に対する私のいろんな拒絶反応

近づかないで

小さいころから母親が私に近づくのが嫌だった。
彼女はやたらと距離が近くて、そのたびに私は一歩後ずさりしていた。
「ちょっと、近い」と直接いったこともある。笑

こっちを見ないで

実家を出て、年に1度義務的に帰省すると
彼女はキッチンから今のソファでテレビを見ている私のことをチラチラと見てきた。
その視線が監視・チェックされているようで本当に嫌だった。
私は母親の死角にいつも移動してた。

 

いいね!しないで

普段あまりFacebookは投稿しないROM専。
語学留学の時にFacebookで海外の友達に向けて近況を投稿したら
その瞬間にすべての写真にいいね!してきた。

本人的には遠い外国にいる娘の姿を見れて嬉しかったのかもしれないけど
秒でいいね!と、全部にいいね!本当にやめてくれと思った。
そして常に見張られているような気がした。
ねっとりした黒いタールがへばりついている気分。


馬鹿なくせにマウンティングしないで

めったにかかってこない電話。
私はこれも義務的に、半年に一度くらいは掛けるようにしていた。
彼女は言葉がどもる。スムーズに言葉が出てこなくて頭が悪いんだなって思ってた。

どもるくせに偉そうに「ああしろこうしろ、だからあんたは~」と言ってくる。
マウンティングうんざりだった。
受話器を耳から遠ざけてから返事だけすることがよくあった。
だんだん電話をする回数が減った。

 

LINEで

電話ではなくLINE全盛になってくると、
今度はそれも受け付けないようになった。

 

~しておいてね😓 みたいな文面から
「あんたのせいで迷惑なんだけど」と言われているような気がした。

人の話は聞き流し、自分の話だけをする。
いきなり旅行の写真を無言で送りつけてくる。反応しても無視。
友人関係の愚痴を背景説明もなくひたすら自分の感情をつづったLINEをぶつけてくる。

とにかく、彼女との接点すべてが嫌になっていた。
20代は「娘である以上親孝行しなければならない」理論で
嫌々ながらも最低限の接触をしていた。
でも、いろいろあって最後にはそれもしなくなった。

 

振り返って思うと、当時の私は

  • 嫌だけど我慢して関わる
  • 嫌だから無視する

この2つしか選択肢がないと思ってた。

でもね、あるんだよね。

 

嫌だと断る

 

それは後で知ること、、、。

 

 

 

 

自分について考え始めたきっかけ

私はずっと生きづらさを感じていて
自分は幸せになることなんて絶対ないという
人生に意味も希望もないまま惰性で生きてきたと思う。

 

いつもそんなことを考えてきたわけじゃなく
それは自分の中にずっと沈殿していて、沼のヘドロのような。

先生曰くそれは「人生の消耗」、まさにそれ。

 

30代半ばになると、特に日本社会では
(後になって私の感じる日本社会はつまり母親から植え付けられたこうあるべきという価値観だと知るけど)女性たるもの結婚して子供を産むべきであるという
価値観に窒息しそうな毎日が続いていた。

 

営業畑から始まって途中でコンサルタントに転向、
その後、管理職だのになっていて
自分で積み上げたキャリア=自分の価値だと思っていたし
結婚も出産もできていない私は
ただ自分のできることをしてキャリアを積み上げて
年収を引き上げて、好きなものを買って、親しい友達と遊んで
そうすることで私はそこそこ幸せだ、と思うようにしてた。
 

ただ、3年位前にハードワークからのキャパオーバーを経て
燃え尽き症候群、最後は逃げるように退職。
そこから少し自分を大事するという概念を知った気がした。

 

会社を辞める時、誰もいない休日のオフィスに荷物を片付けに行った。
静かなオフィスで自然と涙があふれた。
大きな声で泣き崩れた。

 

今でも覚えてるくらいの嗚咽。号泣。

その感情は、その時は何て言っていいかわからなかった。
ただ、いろんなものが入り混じっていたからだと思ってた。

 

でも今は、これこそが自分の感情がよくわからないという
表れだったのだとわかる。

 

そこからいつもの転職パターンで3か月の語学留学。
そして帰国後すぐに転職。

私にとってこの転職もとてもよかった。

 

  • はじめての縦割り分業制の大きめサイズの企業
  • 希薄な人間関係を作るにはちょうど良いフリーアドレス
  • 誰もマネジメントしない気楽な下っ端社員

 

 

やることが、人間関係が、責任が、すべてが薄い。
つまり「超ヒマ」!
今までの働き方とは本当に真逆。

ビジネスパーソンとして会社やクライアントに喜んでもらうために
自己犠牲しまくって貢献することが命!リーダーシップ命!

 

みたいな働き方をしなくなって、
途端に自分のアイデンティティがなくなった。

つまりそれは自分を必要としてくれる場所を失ったということで
どうしていいのかわからなくなってしまった。

 

そうなると今度は、女性としての幸せ=結婚に向け
意識が高くなるわけで。

 

そこでも違和感を感じるようになって

 

オン・オフ両方から自分について考えなければいけない
シチュエーションになった。

 

そんな時、忘れもしない大崎のTSUTAYAで何となく手にした
岡田さんの「愛着障害」。

 

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

この本を手にした時が旅の始まりだったんだと思う。

 

そこからたくさんの本を泣きながら読むこと半年、
カウンセリングを受けて毒親へ対決の手紙を書くまで半年、
新しい環境に身を置くことに決めて。

 

すべては偶然。でも必然だとおもう。
もっと若い時に知りたかった、とは思うけど
これが私に与えられタイミング。

 

自分を知る:気質・傾向(2018年現在)

どこから書こうか迷ったけど、今日やったことを書くのが一番。
何から書くべきとかそういうことも気にしない。 
今書きたいことを書く!
 というわけで、今日は改めてこれまでわかった自分の気質を整理したこと。 これまでいろんな本を読んで、カウンセリングの中で
自分に該当するであろうものを自分の備忘録としてここに書きとめる。 
 
その前に、自分で自分をほめるとするよ。
私は次のような人間であるが、私はおかしくない。
私は何も悪くない。
そんななか頑張って生き延びてきた。よく一人で頑張ったよ?
 
 自分を知る:気質・傾向(2018年現在)私はこれまでから今にかけて次のような傾向がみられている。
※程度が強いものから順に並んでいるはず。 
  1.  過干渉の母親/無関心の父親から精神的虐待を受けていたアダルトチルドレン
    →母親にとってのスケープゴート、父親にとっては支え役、仕事上では道化師型ヒーロー、彼氏には慰め役 
    ※人に合わせて顔が変わってるはず 愛着障害はたぶん一番厄介な「恐れ・回避型」
  2. 内向型だけど、やや外向型も交じってる
  3. クロニンジャーでいうところの反社会性要素強め
    ー生まれつきの気質
    #新奇性の追求:高
    #損害回避:低
    #報酬依存:低ー環境
    ―対人による学習で得られた性格
    #自己志向:低
    #協調性:低
    #自己超越:高 
  4. HSP/HSS・トマティス効果(耳)
  5. 慢性抑うつ
  6. 被虐待性質
  7. 脅迫的世話焼き
  8. 過剰同調性
  9. 過剰な自己犠牲
  10. 心的等価モード
  11. アレキシサイミア傾向
  12. トラウマもち
  13. 機能不全家族/外傷的育ち
  14. 浅く広くアディクションあり
  15. 共依存気味
  16. カサンドラ症候群気味 
こう列挙するとなかなかシブイなぁ、自分。  
 
補足情報は以下の通り。
  • 普通に働いている30代半ばの女性(最近脱バリキャリ)
  • 独身
  • 精神疾患既往歴なし
  • 放浪癖あり  

世界は私と私が持っているものを必要としている

解毒のカギは「自分の気持ちに気がついてあげられること」

 
カウンセリングの先生から、自分が何を感じているのか、
自分の気持ちに気が付くことがこれからの私の課題だといわれた。

 

そういわれてても、、、

 

これまでの人生、ずっと自分の気持ちを抑えて過ごしてた。
自分が何を感じているかなんて興味なかった。

 

私の小さなころから身に着けてきた”感情を抑圧する”は
私を構成する基本要素。

 

いま私は毒親に支配され続けて、
今ようやく支配からの解放フェーズのスタート地点に立っている。

 

自分らしく生きたい、自分の人生を取り戻したい。

 

それなのに、スタート地点に立った途端に急に立ちすくんでしまった。

 

 

私、、、これからどうしたらいいんだろう。

 

結局これ、自分のことになると急に思考停止。
そりゃそうだよね。急に人は変われない。

 

そんな時、何気なしにAmazon Primeで目にしたのがこの本。

 

内向型を強みにする

内向型を強みにする

 


改めて自分の気質の一つ、内向型について掘り下げて考えみたのが今日の午後。

 

この本で絶えず繰り返されていたのは
「自分のことを理解すること」

 

  • 自分のことを誤解しない
  • 自分の考えを口にする
  • 自分を知る 

うん、そうだよね。とっても苦手(笑)

 

そしてそこからTED「内向的な人が秘めている力」を見て
最後のフレーズがとても印象的だった。

 

時々はあなたのスーツケースを開いてみてほしいのです。

世界はあなたとあなたが持っているものを必要としています。

 

 

 

この言葉を聞いた瞬間。
書こう。と決めて今に至る。

 

ブログ名とか、カテゴリ分けとか、順序良くとか、ロジックとか
もう気にするのはヤメー。

 

これまで辿ってきた道、気持ちを記していこうと思う。

 

私の解毒の旅。

まだまだ道半ばだけど、気が付けば遠くまで来た。

私がここまでこれたことはちょっと誇らしい。

 

 

このブログが、これからの自分の礎に
そしてもし同じように悩んでいる人がいたなら
その人が少しでも勇気が持てる後押しになれたらと願いつつ。

 

いざ参らん、解毒の旅。